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酒造り村の伝統と歴史

霊峰白山を源に母なる手取川が現在も、とうとうと流れている。かつて暴れ川の異名をとった手取川ですが肥沃な扇状地加賀平野を生み出し、秋には豊かな実りをもたらしてくれます。

当社のある安吉町(旧山島村)は、手取扇状地のほぼ中央に位置し現在は静かな田園地帯です。かつて戦国時代には約1世紀にわたって一向宗門徒が国を治めた四万石の城下町でした。今は、石碑のみが当時の栄華を偲ばせてくれます。

 山島村における酒造りの歴史は明治以前からといわれています。当社は明治3年より酒造りを創業しました。

 手取川の水質及び伏流水が抜群に良質であること、生産されるお米が良質であり入手が手近に出来ること、空気が清澄であること、農閑期の労働力が求めやすいこと等により、明治の終わりから大正時代にかけて一時期、山島村13箇村に10数件の造り酒屋が存在し、遠く県外にまで酒を出荷し山島酒手取酒として名声を博した時代があります。

 しかし、それも大正後期の大恐慌の中で廃業する酒屋が相次ぎ、昭和10年頃には当社1社を残すのみとなりました。

その後も酒造りの省力化のためには、道具的機械化、許される限りのコンピュータ制御はやむを得ません。しかし基本的には手作りで、伝統技術の伝承と高付加価値商品の製造で、「日本酒」のイメージアップと啓蒙に努力していきたいと考えています。現在、従来の酒蔵を二場に分割し、山本蔵(山本輝幸杜氏)、吉田蔵(吉田行成杜氏)として二場制度にし、技術の伝承と後継者育成に努めております。

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