手取川の正面です。この暖簾が皆様をお迎えいたします
酒造り村「山島」から手取酒の本流を目指して・・

手取川の背景



■安吉城の城下町 14世紀から15世紀


加賀の国は一向宗徒(本願寺門徒)が約1世紀に渡って国を治めました。
その国人の一人大窪源左衛門(おおくぼ げんざえもん)が4万石の城を構えたのが安吉で
す。この地は高台で比較的暴れ川の異名を取る「手取川」の氾濫からも逃れやすく、しかも下
流広範囲に渡って水を制することが出来た為といわれます。柴田勝家の軍勢に打ち破られる
までの約1世紀に渡り当地の文化の中心地として栄えました。今は安吉城址が石碑としてまた
城主の末裔が仏門に帰依して建立された浄土寺が当時の栄華を偲ばせます。

元安吉城城主大久保源左衛門の16代目の子孫が守る浄土寺安吉城址。現在は公民館が建っている。



■手取酒の発生の5条件
@手取川の豊かな伏流水
A白山からの清澄で寒冷な空気
B加賀平野の豊かな米の実り
C農閑期の豊かな労働力



とうと流れる母なる川手取川冬の吉田酒造店。この寒冷な気候が良い酒造りには肝要なのです。


酒造りのためには多くの労働力が必要です加賀平野の豊かな実り。



     以上4つの条件が揃った為と思います。

でもそれだけでは
この小さな村が10数件の造り酒屋が軒を並べる
酒造り村」に発展できた絶対条件にはなりえません


やはり

D安吉が中世以降も地域の経済文化の中心としての機能を維持
  出来た為と思います

■手取酒の誕生発展



 江戸後期            山島村の酒造りが始まる

 明治中期〜大正後期    10数軒の造り酒屋が存在する酒造り村に発展
                  県外に「手取酒」「山島酒」として出荷され名声を博す


山島酒造場。最盛期1000石以上の酒を製造していた
 大正後期         世界恐慌で倒産・廃業が相次ぐ

 昭和10年        当社1軒のみとなる

ところが「手取酒の唯一の継承者」となった当社の歴史も決して順風満帆では
ありませんでした。

   

 昭和19年       企業整備でやむなく廃業し飛行機工場になる

 昭和21年       休業3社で「平和酒造」設立

 昭和25年       吉田酒造店として独立。酒銘「手取川正宗」を継承

 昭和30年       「翁の友」に改名。「川は流れる。婚礼に使いにくい」との世評でやむ 
               なく変更

 昭和57年       26年ぶりに「手取川正宗」を復活する。先祖の名に恥じない高品質 
               酒造りに努める

 現在          大吟醸、純米と次々に商品開発し手取川ブランドの確立に努力




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